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お茶の水JAZZ祭
     
TOP : ★ジャミング・ホット・セブンの再結成(文:石井久義)パート1
投稿者 : webmaster 投稿日時: 2020-03-23 (338 ヒット)

 

 

 以下、ジャミング石井さんからの投稿です。

 

 

ジャミング・ホット・セブンの再結成

 

文 石井久義

 

 

栄光の日々への第一歩

 

  2005(平成17)年7月9日(土)赤坂のBフラットで開かれた「楽友会OBバンドを楽しむ会」でジャミング・ホット・セブンがOBバンドとして初めて演奏をした。再結成の記念日であり、その後の栄光の日々への第一歩を記したのであった。

メンバーはTP、木村修史(宇崎竜童・昭和43年卒)・金沢浩平(平成13年卒・BSSOのOB)、CL、堤浩一(昭和40年卒)・石井久義(昭和43年卒)、TB、後屋敷敏治(昭和45年卒)、DS、酒井邦宏(昭和40年卒・BSSOのOB)、B、柴田耕一(昭和41年卒)、P、中田健一(昭和38年卒・BSSOのOB)の各氏であった。

金沢氏は木村氏一人では心もとないということで、急遽エキストラとして参加していただき、また堤氏は学生時代のトランペットから現在率いているデキシーバンドで担当しているクラリネットに持ち替えて、はるばる長崎からの参戦であった。

私はといえば、定年を間近に控え、ジャズをやるとも考えもしなかった時であった。取りあえず何かやろうと思い、ヤマハの音楽教室に通い始めたばかりで、まだ満足に音が出なかったためオープニングテーマだけ参加し、演奏は勘弁してもらい、なれない司会に専念した。

 演奏の出来栄えはどうであったか? 即席で集めたメンバーで、練習もせず、本番一発勝負では結果は目に見えている。そばで聞いていても冷や汗ものであった。

この演奏を聴いて、最初メンバーに加わることに躊躇していた人たちが、この程度だったらオレにもできるとばかりに次の練習から大挙参加してきた。

 

*TP=トランペット CL=クラリネット TB=トロンボーン DS=ドラムス B=ベース P=ピアノ

*BSSO=ビッグサウンズソサエティーオーケストラの略。以下BSと表記。

 

 
それは一本の電話から始まった

 

 この演奏会からさかのぼること数カ月、私の勤める職場に一本の電話が入った。

「もしもし。ジャミング・ホット・セブンのトランペット担当だった木村ですが」

と楽友会々長になった木村氏からのもので、ジャミングのバンドを再結成しないかということだった。彼も参加をするのでメンバーを集めてくれという話。

当然賛成である。

わたしは、張り切って動き出した。

 まず、私の学生時代のバンマスであり、トロンボーンの名手・伊澤宜興氏(昭和42年卒)に参加してもらうべく連絡をとった。

しかも現在ビッグバンドで吹いているとのことであった。だが、ビッグバンドの練習では楽譜中心の演奏で、コンボでのアドリブにはまったく自信がないということで再三の要請にもかかわらず断られてしまった。

この伊澤氏は2019年2月に帰らぬ人となった。ついに再び同じステージに立つことはかなわなかった。

 

そして以下のメンバーが呼びかけに応じ、嬉々として集まった。

 Bフラットの演奏の翌月、赤坂のノベンバー・イレブン(ライブハウス、木村氏がオーナー)で最初の練習を行った。集まったメンバーは、DS、神田篤身(昭和40年卒)。B、柴田耕一。P、和泉寿時(昭和46年卒)。G、岡憲彦(昭和42年卒)。TP、木村修史、津田二郎(昭和46年卒)。TB、後屋敷敏治の各氏とCLの私。

 この時のメンバーの平均年齢は約60歳。もう少し若いメンバーを加えたかったが、わがバンドは昭和40年代後半くらいから活動が細々となり、ついには55年に消滅してしまったため、やむを得ず、おっさんバンドになってしまった。

 誰かの小説のセリフに

 「じいさんと呼ぶな! おっさんと呼べ!」

 というものがあったが、たしかにこのバンドはおっさんバンドである。以後、おっさんバンドと呼ばせてもらおう。

 

 

木村ァ スティックないか

 

 この日、メンバーが続々と練習に集まってくるなか、ドラムスの神田氏が来るやいなや、開口一番

「木村ァ スティックないか」

 と言ったのである。練習に来るのに手ぶらで来たのである。

この店のオーナーである木村氏の好意で練習場を無料で貸してもらい、さらにお店で使っているドラムセットまで貸してもらったのにである。

木村氏もびっくり、固まっていたのが印象的であった。

大物ぶりの発揮である。

「……ったく、スティックくらい自分のものを持ってこいよ!」

と誰かが心の中でつぶやいたのを聞いたような気がした。

 

ここに、新たにTSの高橋一郎氏(昭和43年卒、BSのOB)が参加をした。

高橋氏が加わったのは、横浜市内で偶然私と出会い、今のジャミングの活動を知らせたところ、ぜひ参加したいとのことだった。

他バンド出身なので、彼の参加を諮ったところ、ジャミングに新しいサウンドが加わるからいいんじゃない、という声もあり、なんの問題もなく賛意を得られた。

今後、続々と生まれる他のバンドからの参加の嚆矢(こうし)となった。

この時からの月2回の練習は今も継続中である。

*TS=テナーサキソフォン

 

 

会費1万円のディナーショーにゲスト出演

 

 2006年の1月21日(土)、赤坂のBフラットで行われた「楽友会新年会」は、前記メンバーで、約半年かけた練習の成果を発揮するべく演奏を行った。   

学生時代であれば半年だと楽に5〜6曲は完成させていたが、なにせ約40年ぶりに楽器を持ったというおっさんたち、一所懸命、本当に一所懸命だけのプレイだった。

 ところがである。こんなわれわれに対して、木村氏は自分が主催する「宇崎竜童 弾き語りライブ」(4月28日)にゲスト出演しないかという、提案をしてきた。

いまのわれわれでは無理。という声が圧倒的だった。

しかし、木村氏は

「いやぁー。必死になって楽器にしがみついてる、おじさんたちの姿が素晴らしい。頑張っているおじさんって、感動的だな〜」

 と、いうのである。

もちろん、われわれだけでは、大枚1万円を払ってくれるお客さんに失礼なので、CL、谷口英治氏(平成3年早大卒、BSのOB)。TB、榎本裕介氏(平成18年卒、BSのOB)。DS、角田哲司氏(平成18年卒、BSのOB)などの後輩プロにお願いしてゲスト出演してもらうとのことだった。

出演した。

後輩たちの力を借りてなんとかやり終えた。

木村氏にも恥をかかせずにすんだようだった。

しかし、メンバーのなかには足はガクガク、指がブルブルしている者がいたようだ。お客には分らなかったようだが、メンバー同士では気がついていた。

まだ初々しいころのジャミング・ホット・セブンの面々であった。

 

 

閑話休題。

オカリナでデキシー?

 

 学生時代クラリネットで6大学のデキシー界を一世風靡し、明治大学のエドモンド・ホールといわれたレジェンド塚原眞氏が入部を希望したのは2006年のことであった。

私がメンバー集めをした時、当然勧誘しなければいけない方であったが、同じ楽器ということで申し訳なかったが、お呼びしなかった。その塚原氏がわたしに気を使ったのか、奥様に誕生日プレゼントされたオカリナ持参で参加してきたのである。

 結果は無惨。

 最初からご自身でも分かっておられたようだが、すぐにクラリネットに持ち替えての参加であった。

 しかし、この数年後、なんと数10万円もする新しいクラリネットに買い変えたのである。齢60半ばにしてやる気満々。

 この年の11月4日、代々木上原の古賀政男記念館内にある「けやきホール」で楽友会の「OBバンドを楽しむ会」が催され、塚原氏が正式にデビューした。

以後、ジャミングはクラリネットの2人体制が現在までつづいている。

私としては、なんの不満もない。

 

 

ジャンミング、単独ライブ事始め

 

2006年12月15日にわがジャミング・ホット・セブンが、無謀にも、一般客相手に単独有料ライブを行ったのである。

これまた、木村氏からの提案であった。

この後、後述するが、われわれは、いろいろなイベントに参加する。その悉くが木村氏の提案である。ながいこと、芸能界の第一線で活躍してきた彼ならではの手腕を間近にみさせてもらった。

しかしこのライブ、我々だけでは集客はむずかしい。家族、友人といっても有料となると気が引ける。

と、木村氏が

「オレも出るよ」

というのである。

それなら集客しやすい。友人、知人も呼びやすい。

練習にも力が入った。

先に無謀といったが、さらに無謀なことを行った。

それは、プロのジャズバンドもあまりやらない、お客の入れ替え制である。実に無謀な企てをしたものである。

しかし、入場者は、大入りとまではいかなくても、ありがたいことに、毎回ほぼ満員になったのである。

客は、メンバーの友人、知人、親戚、家族などがほとんど。たまに、通りすがりに一般人が紛れ込むこともある。本当にたまにであるが……。

この単独ライブは、途中、木村氏が自分の芸能活動が忙しくなり、参加できなくなるが、残りのメンバーで現在も行っている。

最初はノベンバーだけだったが、2010年からは、高橋氏の尽力で鎌倉のライブハウス「ダフネ」でも行うようになり、以後初夏は鎌倉、冬は赤坂と年2回の単独ライブを行っている。

変わらずに来ていただいている友人、知人の方々には本当に厚く御礼申し上げる。

 

 

全国放送に出ちゃった!

 

 2007年1月19日、われわれは、NHKの昼の番組「スタジオパーク」に出演した。

 主賓は木村氏。われわれはその番組の中の“わたしの宝物”というコーナーでのゲスト出演。木村氏はライブ出演、われわれは録画だった。

 司会は、あの有働由美子アナウンサー。

 放送の数日前、ノベンバーで練習風景の撮影があった。

 その撮影で、われわれは、顔が引きつり、目は座り、足はガタガタ、手はブルブル、といったことは全然なく、淡々と映されていた。

なんというか、初めてのテレビ出演というのに、慣れというより、図々しくなってしまったのではないか。はじめのころの初々しさが懐かしい。

しかし、“宝物”といえ、素人のおっさんばかりが全国放送などに出ていいのだろうか? NHKに抗議が殺到するのではないか、と危惧したが、それも杞憂に終わった。

 

 

一に練習、二に練習、三、四がなくて五に練習

―しごきの合宿の真相―

 

合宿でのメニュー

1日目

 合宿所到着

 14時〜17時  練習

 17時〜19時 風呂、夕食(アルコール可但し宴会は行わず)

 19時〜22時 ジャムセッション(自由参加、アルコール可)

2日目

 8時 朝食

 9時〜12時 練習

 12時〜13時 昼食

 13時〜17時 練習

 17時〜19時 夕食(第一回目から六回目までは焼肉パーティ。それ以後は普通の夕食)

 19時〜22時 ジャムセッション

3日目

 8時 朝食

 9時〜11時 練習

 三々五々帰宅。

 

 2007年8月、山中湖にある日本信販の保養所で合宿を行った。

以後、場所を熱海、軽井沢と変えて現在も継続中である。

この合宿も木村氏が言い出しっぺだった。彼の考えでは、都内のどこかに朝から集まり、一日中みっちりと練習をしないかという考えだったようだ。

ところが、新しく入ったギターの能勢博氏(昭和48年卒、BSのOB)が現在勤めている会社には、風光明媚なところに保養所があり、しかも練習場まで完備しているから、合宿所としては最適だと提案してきた。

即決。

練習メニューは上記のとおりで、第1回目から現在まで変わることなくつづいている。

みっちりと練習は行われている(その成果は別として)。

ただし、練習の合間にかなりの頻度で休憩を入れる。練習の合間の休憩なのか、休憩の合間の練習なのかわからない。

実に練習(休憩?)の好きな連中である。

風光明媚なところにきているのだから、観光するとか、夜は繁華街に出没するとか、という考えは微塵もなく、ひたすら練習に励む人たちであった。

ただ残念だったのは、第1回目の合宿に岡憲彦氏が不参加であったことだ。

氏は、毎年この時期になると東南アジアに観光と買い物(何を買うかは本人、黙して語らず)に出かけるため、やむを得ず不参加となってしまった。

一説によると、岡氏の出かける日程に合わせて合宿を行った、という噂もあるが、真相は藪の中。

 

この合宿からベースの長島雅氏(昭和48年卒、DXのOB・上場企業の役員、のち社長に就任)が新たに参加し、柴田氏とふたり体制になる。

新規加入といえば、2008年の熱海の合宿からTPの八野治之氏(昭和54年卒、BSのOB)、2013年にはGの白川正躬氏(昭和45年卒、MCのOB)、2014年にはTPの鈴木正晃氏(昭和58年卒、BSのOB、現役のプロミュージシャン)、2016年の軽井沢の合宿からpの梁川仁氏(昭和46年卒、BSのOB)の各氏がそれぞれ入部した。

 G=ギター。MC=メランコリー・キャッツ(モダンジャズのコンボバンド名)

(パート2に続く)

 

 


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